創業史 昭和5年〜昭和18年

シンコー株式会社の創始者

森川は高等小学校卒業後、父と農業に従事していたが、26歳のころに麻袋の製造販売の事業をはじめる。
その後、別珍(べっちん、手触りがやわらかく厚手の光沢のある布地)の花緒も手がけるようになり、その関連から当時の履物に多く使用されていたレザーに着目をする。
昭和5年、大阪の地に「森川巳之治郎別珍問屋」を起業し、これが今のシンコー株式会社および全国に広がるシンコールグループにとっての創業の年となる。

商人は物を売買するのが本職というスタイルを頑なに貫き、製品の改良、開発、技術の向上にも寝食を忘れて取り組んだ結果、業界の発展に大きく貢献をした。

成長史 昭和18年~昭和28年

内観法の優れた指導者として、有能な社員を数多く育成

吉本は元来、信仰の道に生きる人物で、内観法(内観療法)を広める運動資金の調達のため、昭和12年に親戚関係であった森川のもとへ商売見習いとして入社することになる。その働きぶりは他人の3倍以上と壮絶で、入社翌年からは森川出張所所長として奮闘することになる。
その結果、商売は大繁盛し、レザークロスの問屋として一目置かれるようになる。
初代森川が商売の前線から退き、吉本が中心となって働いた10年間、事業と内観普及で無理がたたったのか結核と診断され長期入院を余儀なくされた。しかし、吉本のもとには内観により育てられた有能な社員のおかげで事業は拡張を続け日本全国に支店ができ、社員数も180名に達していた。

4年の闘病生活の末、昭和28年に病を克服し退院するが、事業は既に社員の手により大きく成長しつつあった。これを機に、商売の道を離れる決意をした吉本は、全国の支店責任者12名を集め、分離独立の形をとる。
信仰に生きた吉本の理念は12名の後継者によって以後新たな展開を見せることとなる。

『内観法』
吉本が広めようとした「内観」とは、「内心の観察」という精神修養法ならびに心理療法で、新興宗教とは一線を画すものである。
部屋の隅に屏風を立て、約1メートル四方の静かな場所に座り、幼少期から受けた愛情の再発見と自己洞察を行うことで、内観者の心のあり方が180度転換するといわれる。

後述する3代目社長の池田もこの内観の信仰者であり、普及活動に参加した結果、森川レザーに入社することとなりました。現在の「シンコー」という社名の由来は「信仰」からきています。

発展史 昭和28年~昭和44年

経営戦略と行動力によって盤石な基礎を確立

池田は終戦後の荒廃した国土を見て失意のどん底にいたとき、吉本が普及した「内観」と出会う。同時に吉本の人柄に触れ、心が洗われるように眼が覚めていき、頼み込んで一小僧として森川レザーに入社する。
入社間もなく第一線で活躍し、吉本が病床の際には番頭格として差配する立場にあった。吉本が商売を離れ信仰の道に生きることを宣言した際、全国の支店はそれぞれ独自の道を歩んでいくことになったが、池田は商業の本場である大阪の船場に進出し「信仰レザー株式会社」を設立しその代表者におさまった。

設立以後2年の間に全国各地に営業所を開設するにいたった池田は、船場商法のノレン分けをヒントに各地の営業所を分離してそれぞれを独立会社とさせた。池田の狙い通り、各社が自由な活動のもとに商売を成功させ、グループ全体の発展へと繋がることになる。

企業経営の近代化を図り、次々に新機軸を打ち出し、昭和40年にはインテリア部門、翌年には織物部門を分離、さらに翌年には配送センターを完成させデリバリー体制をも確立する。
意欲的に事業拡張に取り組んだ池田であったが、白血病を患い病床に伏すことになる。例え病床にあっても思いついたら昼夜問わず積極的に経営戦略を指示し続けた池田の行動力と活力が今日のシンコー株式会社にも大きな影響を与えているのは間違いない。

飛躍史 昭和44年~平成18年

初代森川が設立したレザー事業の正統後継者として
インテリアにおけるさらなる可能性の開拓者

信仰レザーに入社した西村修は単身名古屋に移り出張所を立ち上げる。自転車で得意先をまわり、荷造りから配送までをもすべて一人で行う。そんなゼロからの出発であったがその努力が実り、6年後には社員も20名に増え「西村レザー商店」として独立を果たす。

個人企業として成功しつつあったころ、信仰レザー本社より要請を受け急遽帰阪し、専務へと昇格をする。前述のとおり、池田前社長が白血病を患ってからは専務として、全国のグループ企業の中心に立ちその重責をまっとうする。池田前社長の死後、西村修が4代目社長に就任する。信仰レザーに入社してから10年後のことであった。

社長就任後、今後グループ前代をいかに飛躍させるかという課題に取りかかる。まずは情報収集・時代のトレンド洞察のために、38日間をかけて世界一周の視察旅行に出る。
海外のインテリア事情をつぶさに調査した結果、日本におけるインテリア市場の将来性について確信を持ち、現在のシンコール壁紙の原点を作りあげた。

昭和50年、社名を信仰レザーからシンコーレザーに変更。
昭和51年、大阪の東大阪に新社屋を完成させる。また、沖縄に支店、アメリカロサンゼルスには支社を設立させた。
平成元年、社名を「シンコー株式会社」に変更。

6畳1間を居住兼名古屋出張所として商売をスタートさせたときからの一貫したチャレンジ精神で、シンコーを名実ともに日本のインテリア業界の未来を担うトップ企業へと導いた経営者人生であった。

未来史 平成18年~

先進的な技術や斬新なアイデアをもって
「これぞ日本のインテリア」を
世界に発信するパイオニア企業をめざす

平成9年シンコーへ入社後、取締役・副社長を歴任した後、平成18年に代表取締役に就任する。

昭和5年に創業し、昭和28年の設立から今日にいたるまで時代の流れにあわせるように事業も内容も拡大をしてきた。西村は受け継がれてきた物を守ることも大事だが、新たな可能性を探し追い求め変化し続けることが重要であると考えている。

そのためにも新しい感性、いわゆる若者の力が必要不可欠となる。このインテリア業界が今の学生にとって魅力ある業界にしていくことが課題であり、そうすることで自然と若い感性が取り入れられ、世界に匹敵する日本のインテリア文化確立に一歩近づく。

時代に置いていかれないように。インテリア業界の先陣を切る会社であり続けるために、これからもシンコーはチャレンジをしていく。